ぼくのランドセルは黄色だった
ブログだとリアルでは決して言えないことも吐き出せるのだ。
こんにちは、Kataruです。
ぼくのランドセルは黄色だった(読みにくい)
このことを知っているのは私の親、小学校が同じだった人間くらいだろう。もちろん、ずっと昔の話なので忘れている人もいるだろうし、そうであることを願うばかりだ。
今後も自分から人にこの話をすることはないだろう。
黄色いランドセルになった経緯
選んだのは他の誰でもない私だ。
別に親に「黄色がかわいいから!」と選ばれたわけではない。
なぜ「男の子は黒」というセオリーがあるのに、過去の私は黄色という斜め上の選択をしたのか。タイムマシンができたら真っ先にあいつを八つ裂きにするだろう。というか、なぜ親もとめなかったのだ。どう考えても黄色とかおかしい。
ただ、断片的な記憶の中で、黄色いランドセルを買ってもらい小学校入学をわくわくして待っていたのは覚えている。つまり、当時の私は本当に純粋な気持ちで黄色を選んだのだ。
ちなみに今の私の嫌いな色は黄色だ。
途中までは良かった
黄色いランドセルを後悔し始めたのは入学当初ではない。
当時の私は宇宙一可愛かったので、周囲の大人からもも高学年のお姉さんたちからもチヤホヤされまくりだった(人生のピークがここ)「黄色いランドセル」というアイテムもその可愛さを一層引き立てた。
「おや?」と思い始めたのは、多くのキッズに自我が芽生えてクソ生意気になる4年生のころだ。私にも例外なくアイデンティティー(意味を分からず使ってるやつ多すぎぃ)も芽生えてきた。
そして、自分と他人を比べ「どうして俺のランドセルは黄色なんだ?」と自分で買ったくせに痴呆みたいなことを思い始めたのである。
そこからは毎日が、宗教的死生観において、複数の霊界(死後の世界)のうち、悪行を為した者の霊魂が死後に送られ罰を受けるとされる世界、つまり地獄だった。
登下校のときには「自分は変な奴です」と看板をネットカフェのおっさんよろしく掲げているようなものだった。同級生は一年生のころから見慣れているもんだから、それが原因でいじめなどがあったわけではない。これは不幸中の小幸いといえる。
救いようがないのは私自身の性格が恥ずかしがりやで引っ込みじあんだった、ということだ。シャイなのに黄色いランドセル...キモオタがイキがって金髪にして後悔しているようなものではないか。
まだイキがって周りが見えてないオ〇ニー野郎ならまだ気持ち的に楽だろうが、こっちは周りの目を認識できてしまう聡明な子どもだったのだ。本当に、この世界は頭の悪い方が悩みが発生しないので生きやすいと思う。
結局、「黒いペンキを買って色を変えようか」とまで考えながらも、小学校6年間をやり遂げたのである。中学校からは指定された黒いかばんだったので、少しずつ傷ついた心を回復していった。本当によく耐えた。
これからランドセルを買う子をもつ方へ
子どもの「黄色いランドセルほしい」に耳を貸してはいけない。
今の時代、ランドセルの色もデザインもパターンは多様化してるだろうが、それでもやめておくべきだと思う。
「黄色いランドセルなんて売ってない」と嘘をついてもいい。とにかくやめておくのだ。今「ほしいほしい」と言っている子どもの性格や感性が変わらないなんて、誰が保証できるのだろうか?(反語)
黄色いランドセルは恥でしかない。
今でこそランドセルの話題なんて出てこないが、やはり当時のことを思い出すと心臓がすごいことになる。「普通であることが幸せ」がこの件で得た教訓である。
これ以上犠牲者を出してはいけない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。